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今を生きる(足立 伸吾さん)

2013年9月4日

2010年の11月初旬、大腸がんSt.Ⅲ初発。手術で切除し、抗癌剤治療開始も一年後には再発が発覚。さらに半年後、母子感染のウィルスキャリアーだったB型肝炎が発病して肝硬変に進展。先の見えない抗癌剤治療、次々現れる諸処の不具合とともに本州の最果て青森の片田舎で日々を送っている。

そんな中だが、一つだけ確信を持てたことがある。「今を生きる」ということだ。病気を治したい気持ちには変わりないが、今病気であることからは逃れられない。もし病気が治ったら、とか、もし病気でなかったらなどと考えているくらいなら、今病気でもできることを一所懸命やったほうがいい。病気が治ったらあれもしようこれもしようと考えていても先のことなど分からない。3ヶ月先、半年先、主治医からなんと言われ、どうなっているかなんて分からない。今できることを今やるのみだ。今の今、自分にできることなら分かるし、できる。

そして今日できたことなら明日もできる可能性は高い。そして明日が来たら明日は今日だ。それを繰り返す先には、今は見えない先にある3ヶ月、半年先がつながっている。もちろん、つながらないこともあるかもしれないが、もし~とか、いつか~なんて考えたり、怖れたりだけしていても今目の前にないことならいつになってもできることも起きることも保証はない。そしてそれは癌だろうが健常者だろうが変わりない真実だ。

こう思えるようになるまで、正直、何度も挫折感と絶望感を味わい、何度も自分を見失った。しかしそれらも必要なことだったと今は思う。若く、元気だった頃は何かと理由をみつけては何でも先延ばしにし、面倒ごとは避けて来た。楽をしているつもりでいながら、人生の大切な実りを遠ざけてムダなことばかりに時間を費やして生きて来たようにも思えてしまう。癌は私に自分らしい生き方を教えてくれたのかもしれない。

今はもうそんなムダはしない。そう気づいたのは6月の1日。ちょっとしたイベントがきっかけだった。そのイベントとは私の好きな自転車のイベント。ネットで知り合った宇都宮在住の自転車好きの年上の友人に誘われた、東京の自転車ヴィンテージ自転車の愛好家グループが主催するクロマニアミーティングイン青森というイベントだ。このイベントは、今ではカーボンファイバー製で主に台湾、中国で生産される6kg台のものが主流となっているスポーツ自転車の世界で、1980年代以前の10kg前後もあるヨーロッパ製の鉄の自転車の手工業的な造形美にこだわる人たちとその自転車を集めて青森秋田に跨がる十和田八幡平国立公園の奥入瀬渓流と十和田湖をサイクリングしようというものだ。私は小学校5年生で初めてサイクリング車を手に入れて以来、自転車をずっと趣味にしていて、若く健康だった頃は自転車での旅やレースもしており、病気になるまではずっと古い自転車を大切にしていて、再発以降は親しく大切にしてくれそうな人たちに大事にしていた自転車を譲りはしたが、家族や知り合いの自転車の整備をしたり、磨いたりしていた。ネットで知り合った友人とはそれまで直接逢ったこともなく、病気のことを伝えてはおらず、私の住んでいる青森県でこういうイベントがあるので一緒に参加しないかと誘ってくれたのだ。

実は友人に誘われる以前から、このイベントのことは知っていた。自転車好きとは言っても、ヴィンテージと言えるような自転車は手元にあるわけでもなく、そもそも病気であることに精神的に負けていて自転車に乗ること、まして山の中にある奥入瀬渓流や十和田湖を走ることなど考えられず参加は諦めていた。しかし、その友人と仲良くなったきっかけは、彼の自転車仲間に末期ガンの方がいて、その方を支えて一緒に自転車を楽しんでいる様子をネットを通じて知っていたからだった。その末期ガンの方は昨年亡くなっていて、友人自身も今年の春先にポリープ除去の手術を受けていた。本当に人ごととは思えず急速に親しいやり取りをするようになった人だったので、イベントに誘われたとき、一緒に参加したいと強く思ったのだった。

そうして無理そうだなとは思いながらも、イベント参加へのほのかな期待感を持って5月から、自転車に乗り始めた。もちろんヴィンテージ自転車など用意できない。うちにあったのは30年以上前のボロくて乗らなくなったけど棄てられずにとってあった安物の自転車のフレームとバラバラの古い部品たち。それらから走れるようになる自転車を組み立てることは、病気の自分の身体を再生する過程の一部のようで楽しくもあった。そうして見た目はボロボロながらもなんとか真っすぐ走れる自転車ができあがった。しかし、問題は身体の方だ。癌は消化器系なので運動機能に特に障害はないが3年目になる抗癌剤治療で血が薄いのか、しょっちゅう立ちくらみや息切れ、目眩、手足の痺れがある。ゆっくり走っている分には問題ないが車や信号が多い街中は危なっかしくて乗っていられない。自ずと郊外の坂の多い里山ばかりを乗るようになった。自宅も郊外なのでなにかあってもすぐ帰れることも大きかった。

しかし、結局はひと月程度の練習ではとても自信が持てず、開催日も2週間おきの抗癌剤サイクルの1週間目だったこともあって主催者と相談の上、見学とサポートのみで参加は見合わせることになった。それでも事情を酌んで下さった主催者の方の配慮で、前日行なわれた懇親会にも参加させていただき、友人とも初顔合わせ。参加者の皆さんともお話ができ、中にはサバイバーの方も数名いらして、同好の同病者同士の交流と言う初めての貴重な時間を共有することができた。

そして当日。奥入瀬渓流と十和田湖は青森が誇る風光明媚な景勝地だが、火山活動によってできたカルデラ湖である十和田湖は言わば噴火口。周りは山で1000m以上の峠もある。スポーツ自転車とは言え、現代の基準では激重のヴィンテージ車では敢えて重荷を背負って困難に臨むことと同義である。自転車に詳しくない方でも。例えば階段を上る時に6kgの荷物を持って登るのと10kgの荷物を持って登るのとどちらが楽かと考えると想像しやすいかもしれない。しかもそれが数10km、数時間と続くのだ。

見学と称して休憩地点の峠の山頂で参加者の到着を待っていた私は複雑な思いでいた。友人への義理もあってここには来たが、自分には参加者の方々のような健康はなく、例えこれから自転車に乗るようになってもこんな激しい坂は絶対にムリだと思ったからだ。第一、クルマでここまで登って来ても、確かに景色はきれいだが、きついばかりでとても楽しそうには思えなかったのだ。ところが、最初に登って来た参加者は息も絶え絶えでありながら、開口一番「気持ちいい〜っ」であった。私は目が点になった。そうして間隔を開けながら一人、また一人と登って来る人たちは皆、一様に「最高っ!」とか「素晴らしいっ」とか、息を切らして苦しそうな様子にも関わらず心底楽しそうな表情で口にするのだ。

目からウロコ。頭をガツンと殴られた思い。条件、状況はその人の受け止め方一つ。どんな状況も楽しめるかどうかもその人次第。やりもしないで頭の中だけで考えてあれもできない、これもムリだと思っていた自分の心の何とちっぽけなことか。ずっと思っていたが、病気だろうが健康だろうが人は生きている限り死から免れることは不可能だ。しかし、病気のためにその不安から逃れられないながらもその日をより明確に感じながら逝くことと、健康でそんな不安とは全く無縁である日突然ぽっくり逝くこととどちらが幸せだろうか?そんな疑問自体がバカバカしくなった。病気も健康もどちらも生き方のパターンの一つであって条件に過ぎず、その人がどう生きるかはその人が自由に決めればいいのだ。同じく高価な自転車だとしても軽くて楽な自転車で速さを楽しむか、重くてしんどいけど好きな自転車で走ることを楽しむか。どちらもありで本人次第だ。

普通に考えれば登るのをやめてしまいそうな急坂を、古くて重たい自転車で登って来ては歓びを口にする人たちを見て、自分が病気であることに心まで支配されて、やりたいことを何もぜずに縮こまっているだけの自分の姿が本当にちっぽけに思えた。先への不安や過去への悔恨ではなく、今この時を大切に好きなことを一所懸命やることこそが自分の人生を生きるということだ。それは病気だろうが健康だろうが関係ない。重い自転車できつい坂道を楽しむことだってできるのだ。

クロマニアミーティングに出たいと思った日からOCTセミナーで出張するまで100日以上、雨だろうと風だろうと、自転車に乗ってきた。毎朝3~4時間自転車で八甲田に続く坂道を登った。時間も距離も病気以前の若い頃とは比べようもない。しかし、若い時は雨が降りそうというだけで休み、疲れていると言っては休み、今から思えば乗らない理由ばかりを探していたような気さえする。今では一日たりとも休む気にはなれない。今この時こそ大切と思うようになってからは目の前の景色が変わったのだ。今目の前にある風景が私の命そのものであり、それが本当に愛おしい。先のことや過去のことに囚われていたころには考えられなかった。そうして、8月の中旬には6月には絶対ムリだと思っていたクロマニアミーティングのコースを走りきることもできた。

OCTセミナーの翌週、病院で先般受けたCTの結果を聴かされた。再発部位やその近くには変化がないが、肺に転移かもしれない小さな点が複数見られるとのことだった。使用中の抗癌剤が効いていないとも言い切れないのでまだ4クール、二ケ月ほど様子を見て判断するとのこと。まだ二ヶ月は今の暮らしを続けられる。今夜もひどく雨が降っている。明日の朝までに晴れるかはわからない。自転車に油を差し、合羽の用意をして眠る。

足立 伸吾(50代、男性)