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働くのって大変!?・・・でも、働けるって幸せ!

2014年5月27日

2010年、父から「お前も40になったんだから、試しに人間ドックでも行って来いよ。費用は出してやるから」
費用を出してやるの一言が決め手となって、軽い気持ちで受けた人間ドックがガンとの出会いでした。
当時私は介護の専門学校の教員をしており、学生を送り出す3月には手術があるためやむなく欠席。学生を預かる身として、一年を無事に過ごせるかわからない状況で教壇に立つのは学生に申し訳ないと思い退職しました。

それでも仕事がしたい!・・・

ガンになる前から私は仕事ばかりの毎日を過ごしていました。福祉の仕事に「生きがい」を感じていたから、その思いを伝えるために頑張るんだ!と仕事に没頭する毎日でした。多くの学生、受講生に支えられて、その受講生が成長していく姿を見、それに負けないくらい自分も成長するために勉強する。それが当たり前の毎日だったのに・・・

度重なる再発で、どんどん自分の出来ることの範囲が狭まってしまう。元気で働いているうちは「仕事が大変だ」などと言っていましたが、いざこのような状況になると、「働くのって大変」なんて贅沢な悩みや愚痴で、働けるって幸せなことなんだな、としみじみ思えるようになりました。

ガンになって、会社勤めは非常に会社に迷惑をかけるという精神的な負担が大きいため3年ほど前に「だったら会社を作ってしまえ」と福祉事業所を立ち上げました。従業員、利用者にも隠さず自分の状況を告げていたので、当然理解してくれているものと私は勝手に思い込んでいました。しかし、入退院を繰り返し、一昨年には合併症を起こして死にかけて入院が半年にも及んだりという状態になると、忙しい職場で働く従業員の方からも不安や不信を招いてしまうことになり、しまいには立ち上げから信頼して将来を託そうとしていたスタッフから「全然現場にも出ないくせに偉そうに」とまで言われて、当然理解してくれているというのは私の勝手な幻想だったのだと痛感し、社長を退任せざるを得ない状況に追い込まれてしまいました。

それでも仕事がしたい・・・

働くことが生きがいの私にとって、がんに甘えていたつもりはないのですが、自分で作った自分の働く場を、追い出されてしまうような形になったのは、がんの宣告の時よりショックなことでした。
がん患者は何もしてはいけないのか?(誰も受け入れてくれないのかという絶望)
がん患者は社会から疎外されて生きていかなければいけないのか?(これからどうやって生きろというのかという絶望)
福祉事業をしている会社でこのようなことが平気で出来るのか?(八つ当たりに近い怒り)
様々な感情が芽生えては消え、芽生えては消えを繰り返してきました。
しかし、「捨てる神ありゃ拾う神あり」ではないですが、現在は体に負担がかからない頭を使う福祉の仕事として、様々な事業所の研修講師や、コンサルタントとして少しずつ働いています。
会社組織で誰かに理解してもらおうと思うのではなく、あまり迷惑をかけないようにするために、個人事務所を立ち上げ、これからも「仕事を続けていきたい」と思っています。

(松崎 匡さん 40代)