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わたしとがん(遺族として)(國村 三樹(OCT事務局))

2013年4月11日

私は約7年前に父をがんで亡くしています。ある日、家に帰ると「父の胆のうにあった(2年前に摘出済み)がんが肝臓に転移し、治療法はなく、多少の延命になるかもしれない手術をするか、何もしないで対処療法だけをしていくのとどちらか」と言われたと母に報告されました。よくテレビで見るような、ステージ何で、余命いくら、という言い方ではなかったので、それが何を意味するのか、しばらくわかりませんでした。当時私が困ったのは、治療法がない、と告知された人になんと言えばいいかわからなかったことです。他の病気なら「良くなったらまた何々しようね」とか「おいしいもの食べに行こうね!だからがんばってよ。」って言えるでしょうが、「治らない」人にはなんと言えばいいのでしょう。宗教でももっていれば「神様がいるから大丈夫だよ」とでも言えたかもしれないなあ、と漠然と感じていました。

私が後悔していることは、もっと治療法を探せば良かったとか、違うお医者さんにかかっておけば、ということではありません。最後まで楽しく明るく過ごさせてあげられなかった、ということです。消化器系のがんのため、処置のため絶食することが多く、一日何もせず一週間も10日も辛気臭い病院にいるのはさぞ辛かったと思います。見舞いに行っても何もできないので、行くこと自体が苦痛でした。やせ細った体を見ていると胸が詰まって泣きそうになってしまうので、何も話せない暗い見舞客でした。

周りの人も気を使ってくださったのだと思いますが、楽しいイベントには誘うことを遠慮され、そして、言葉が見つからなかったのでしょうが、離れて行ってしまったのが寂しかったです。がん闘病は家族にとって既に「喪に服している」ようでした。家族も支援を受ける側なんだ、ということを知ったのは父も亡くなったずっとあとになってからでした。支援を受けていたら少しは明るく見舞えたかもしれません。今もきっと、支援があることに気づかず、私のように過ごされている方がいるのではないでしょうか。

人生の最後はお芝居で言えばフィナーレ。もっと楽しく明るくあるべきじゃないのかと私は思うのです。次に、他の家族を見送るとき、あるいは自分のときはそうありたい、そのために何かしたい。

今回ご縁があって、このキャンペーンを担当させていただくことになりました。父が仕組んでいるのかな、と感じています。おかげで、たくさんのサバイバーの方にあって、わたしにとってのがんのイメージは、がんという言葉に圧倒されてしまったあのときから変わりました。がんになっても、笑っているし、フルマラソンも走れるし、自分のがんを冗談にもしてしまうこともできる。でも仕事を失っていたり、後遺症で苦しんでいたりという困難もある。がんになっても、最後まで笑顔で生きたいし、生きてもらいたい。このキャンペーンを通して少しでもそこに近づけるように、微力ながら貢献できたらと思っています。

國村 三樹 OCTキャンペーン事務局