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私の体験談(内山 ゆきさん)

2013年9月4日

今から約3年前、私はがん体験者の方の講演を聴いていました。結婚してちょうど一年目の結婚記念日を迎えたばかりで、長男の嫁だったこともあって、そろそろ子供が欲しいねと主人と話していた頃でした。自営でエステサロンの仕事をしていたので、女性特有のがんについてきちんとした知識を持っておいた方が良いと思い、勉強のつもりで申し込んだ子宮頸がんのセミナーでした。

そのセミナーは女性限定だったこともあり、性の問題など踏み込んだ内容でした。「子宮のがんは、手術をして子宮を無くしてしまい子供が埋めなくなってしまう事以外は、病状が回復してしまえば通常の生活に戻れる」というイメージしか持っていなかった私は、排便・排尿障害のことやリンパ浮腫などの後遺症などと一生付き合っていかなくてはいけないという事実を初めて知りました。中でも、膣が短くなり今まで同様に男性を受け入れることができなくなってしまうという性交渉の問題には衝撃を受けました。私のサロンに来るお客様にも正しい知識を伝えて検診を勧めなくてはいけないと感じビッシリとメモをとって帰宅し、「子宮頸がんって、私たちが想像していた以上にたいへんな病気だよ。」と主人にもセミナーでの話をしたくらいでした。

・・・その3日後、自治体のがん検診を受けた病院から突然、自宅に電話がかかってきました。今日中に病院へ来て欲しいと呼び出されて行った病院で、今度は私が子宮頸がん告知を受けました。女性の美容・健康に関わる仕事をしていた私は自分の健康に自信があったので、まさか自分が、それも「がん」になるなんて、、、正直、想像もできていなかったです。それも3日前に勉強したばかりの「子宮頸がん」。他人事だと思っていた後遺症の様々な症状が現実として自分の身にもふりかかってくるかもしれない。3日前にメモを書いた内容が頭の中をグルグル回っていました。

翌日から続く精密検査や入院への準備の中、主人との結婚生活を持続するべきかどうか悩みました。岐阜県にいる実家の母からは「離婚して実家に戻り、こっちで治療をするように、、、と言われました。子宮がなくなってしまうかもしれない、それどころか性生活自体ができなくなってしまうかもしれない…。出会って3か月のスピード婚で、まだ結婚して一年しかたたない主人に、そんな重荷を背負わすのは申し訳ない。。。「離婚することも構わない。」と自分の思いを主人に伝えたら、ポロポロ泣き出しちゃって涙が止まらなくなってしまって。泣いたのは私ではなく、主人のほうです。私の主人は、私と歳は同じなんですが年下タイプで甘えん坊、一人では何もできないタイプ。動揺をかくせない主人をこれ以上悩ませても可哀想だと思い、とりあえず落ち着くまでは治療に専念することにしました。ただ、内孫の誕生を心待ちにしていた主人の義両親に打ち明けた時に「一緒にがんばろう。治ったら快気祝いに一緒にカラオケに行こうね♪」と言ってくれた事は、今でも心から感謝しています。

検査の意味合いもあって受けた最初の手術は円錐切除といって、子宮の入口部分をクル~と切り取るものでした。私の病院では入院しての手術でしたが、病院によっては日帰り手術も可能なようです。術後の病理検査の結果、幸い、癌の進行は見つからず、子宮を温存したまま経過観察ということになりました。

術後1ヶ月くらいは自宅で安静な生活を送っていましたが、6ヶ月もすると普通の生活に戻っていました。そして10ヶ月後、生理が遅れていて受けた検査で陽性反応。おめでたが発覚しました。その頃の私は、体の調子は回復していたものの、がん治療などがきかっけとなった経済的な苦境から抜け出せず、必死に仕事を求めていた時だったので、妊娠・出産・子育てと私がまた働けなくなってしまうことの不安と戸惑い、分娩費用などのお金の工面の事が先に頭をよぎってしまって、子供ができた事を素直に喜べない状況でした。

自営業でエステサロンの仕事を長年頑張ってきて、2年前にやっと株式会社に法人化したばかりだったのです。法人化するためにそれまでの蓄えも使ってしまって貯金もなく、またタイミングが悪いことに独身時代から入っていた生命保険は満期満了を過ぎたばかり。次の保険はどうしかなぁ~と悠長に考えていた矢先のがん宣告だったので、無保険状態。入院・手術にはそんなにお金はかからなくとも、自営業なので治療で仕事が出来ない間は収入がまったくゼロに。生活自体は主人の給料で何とかなっても、私の事業の方の法人税などの支払い請求は容赦なくやってきます。支払いに追われる生活に 精神的に参っていました。

本来なら、子宮頸がん体験を乗り越えて、妊娠したのですから神様に感謝するほど幸せで喜んでいなくちゃいけない時に、素直に喜べない自分がいました。そんな状況の中、検診で胎児が育っていないことを医師から指摘をうけ、流産の危険が高いと言われました。その時にすでに41歳でただでさえ高齢出産になる上に、私の場合は円錐切除で切り取った部分が大きかった事も影響して、子宮口を縛る手術を受け何ヶ月も入院して絶対安静にしないと胎児をまもれない状況でした。ここで流石に私もやっと我に返った。「何を犠牲にしても、お腹の子の命を守りたい」と思い、法人化したばかりの会社をたたむ決意をしました。

しかし、私のお腹にきてくれた子の使命はそこで全うされました。会社の精算手続きをした一週間後に、その子とのお別れを迎えました。その時、私には忘れられない言葉があります。「正直、羨ましい。私だって赤ちゃんがお腹にいる体験を一日でも味わってみたい。」同じ子宮頸がんで、それも再発治療中の同じ歳の友達が私に言った率直な言葉です。彼女が言うとおり、母親としてお腹の子と共に過ごした時間はたとえ短くとも私の人生の宝物です。

振り返ってみると、子宮頸がん体験で私の生活はガラリと変わりました。仕事バリバリ頑張って自信も収入もあった私が、一転、主人の配偶者扶養に入ってほぼ専業主婦の生活に。でも悪いことばかりではありません、傲慢で鬼嫁だった私が、今ではお給料を持ってきてくれる主人をたてて労わるようになったので、夫婦仲は円満で穏やかになりました。(笑)

今、私が実感を持って皆さんにお伝えしたいことは、大きく二つあります。

一つ目は、今日のこのがん体験の話は決して他人事ではないということ。私自身が、今の皆さんと同じような立場でこのように話を聴いて帰った3日後に、まさかのがん宣告を受けたという事こと。

そして二つ目は、がんのお金の問題は決して治療費だけではないということ。私のように自営業であれば、まさに仕事量と収入に致命的なダメージを受けて、なかなか回復できなくなります。また、会社勤めであっても休業したり、また辞めることにになって収入が激減する事になります。若い世代の女性に多いがんである分、独身で仕事をしている女性が罹患するケースが周りでも多くあります。

がんに罹患して病気に対する不安ももちろん辛いのですが、仕事をして食べていかなくてはいけないという将来の経済的不安も、ものすごく大きな心の負担になります。

この二つは、絶対に脳裏に刻んでおいて欲しいと思います。

 

内山ゆき (40代、女性)